今回はこういった方へ書いていきます。
この記事を読むと
がわかります。
ちなみにこの記事を書いている僕もバックパッカーを愛し周ってきた国の数は50程です。
1 バックパッカーズジャパン【本間貴裕さん】
プロフィール
彼の名前は「本間貴裕」さん福島県の会津若松出身です。
大学3年生の時にオーストラリアを1周し28都市をバックパッカーで渡り歩きました。路上でライブパフォーマンスをして稼ぎながら旅を続け無事帰国。
大学卒業後バックパッカーを経営するためのたい焼き屋をオープンしそこで得た資金で2010年2月に株式会社Backpackers’ Japanを創業。
2010年より東京入谷にてゲストハウスtoco.を開業。2012年にゲストハウス2号店となるNui. HOSTEL & BAR LOUNGEを蔵前に、2015年3月に3号店Lenを京都にオープンし、2017年3月に日本橋に4号店CITANをオープン。
ゲストハウス経営のきっかけ
理由は2つ
一つ目は「国境を越えて、様々な人が集う空間を見て大きな刺激を受けた」ことです。
彼が大学3年生の時に英語の勉強を兼ねて、オーストラリアに1年間語学留学ではなく、旅をしながら色々な人たちと話をしながら勉強をしようと決めました。
ところがオーストラリアに行った初日にアクシデントがあり、紹介してもらった家に行くと、家が洪水によって浸水していたために、泊まれる状況ではありませんでした。
学校も決まっていないし、片道キップしか持っていなかったので、いきなり途方に暮れていたところに、旅慣れたした人に声をかけられその方が泊まっているユースホステルを紹介してもらいました。
声をかけていただいた方と一緒にユースホステルの入口までいき、ドアを開けた時です。目の前のキッチンでは、ビールを片手に欧米人、アジア人、地元のオーストラリア人など、国籍関係なく凄く盛り上がっていました。彼にとって、その時の映像が旅の中で1番インパクトがあったそうです。
2つ目
2つめの理由は、「自分でお金を稼ぐ魅力を知ったこと」です。
彼はオーストラリアの旅で、バスを使って28都市を周りました。そんな中カジノにはまったこともあり、お金を使い果たしてしまいます。新たにお金を稼ぐために、レストランや、フルーツピッキングといった働く方法もあったのですが、それ以外に何か面白いことができないかと考えました。
そんな時に、町で意気投合した日本人と一緒に路上で音楽をやろう!ということになりました。
いざ演奏してみると、汗水垂らしながら一所懸命4時間演奏して、初めて手に入れたギャラが4ドル。少なすぎる額ですが、それがとても嬉しかったそうです。
自分の力でお金を稼ぐ魅力に気付かされました。
2 バックパッカーズジャパンの歴史
1店舗目 toco
toco.は、近年のゲストハウス・ブームの火付け役とも言われています。
ゲストハウスを始めたくて物件探しをしていた時に、大学の先輩からここを紹介されたそうです。最寄り駅から近く、成田空港にも羽田空港にも出やすいですし、上野や築地、浅草といった観光地へのアクセスもよく100年近く前に建てられた日本家屋や庭が気に入ったそうです。風通しが良く、光も入りやすいですし、土の匂いが感じられここしかないと直感して、すぐに契約したそうです。
大正時代に建てられた日本家屋は、外国人だけでなく日本人にとっても魅力的であり長い縁側、白い漆喰(しっくい)の壁、ガラス窓の引き戸に障子。ほぼ“絶滅種”になりつつある「古き良き日本の家」がここにあります。
しかも、ただ古いだけではなく縁側も引き戸も細部に至るまでよくメンテナンスされていて木材が本来持っている「艶(つや)」がより一層引き出され、温かい輝きを放っています。美しい漆喰の壁の一部は、スタッフたちが塗り替えたそうです。
最初に見学した時には、庭も家屋も荒れ放題。スタッフや大工さんたちと一緒に、自分たちの手できれいに仕上げました。
母屋の前に広がる日本庭園からは「富士塚」も拝め富士塚とは、もともと江戸時代に気軽に登れるようにと富士山に模して造られた山や塚のことを言います。日本人の富士山信仰を象徴するもので、富士登山と同じご利益があるとされています。
toco.から見えるのは、隣接する小野照崎(おのてるさき)神社の敷地内にある、重要有形民俗文化財に指定されている富士塚「下谷坂本富士」の裏側です。そんな庭を眺めていると、どんどん癒やされる気がするから不思議でパワースポット的な要素もtoco.の魅力の一つです。
2店舗目 Nui
Nui(ヌイ)はゲストハウスのtoco.の二号店として2012年9月にオープンしました。Nui.がある蔵前という町は、古くからものづくりの町としても知られており、Nui.の建物も元々は江戸時代から続く玩具会社の倉庫を改装したものです。
改装にあたっては全国から集まった大工さん、職人さん、デザイナーさん、スタッフが一丸となり構想から施行まで丹精込めて作り上げました。「機械よりも自らの手を、正確さよりもそこに居る人の意志を大切にしたい」そんな思いを宿を作ったときの姿勢に重ね、「手縫い」の「縫い」の文字を取って宿の名前にしました。
理念である「お酒x音楽x宿」を達成するために、2店舗目は鉄筋コンクリートの建物を使いたく防音が重要であり、且つ1店舗目のtoco.の2倍の面積である500平米ぐらいの物件を探していました。
toco.は古民家でしたので、なんとしても「音楽」を達成したかったのですがなかなか希望に叶う物件が見つからず、探し始めてから3ヶ月間が過ぎていきました。
半ば諦めながらいつも通りインターネットで物件を探していたら「960平米1棟」という物件がヒットしすぐに物件を見にいき、シャッターを開けた瞬間一目惚れしその日に申し込みをしました。
当時の会社は創業3年目で年商3000万円程度。銀行からは一部調達できましたが、目標の金額には足りなかったそうです。
だからといって、残りのお金を投資家から調達するタイミングではないと判断しましましたがそのような状況でも工事は進んでいき、竣工直前までお金が集まりませんでした。
しかし、プロスキーヤーの友人や、オーストラリアの旅人仲間、メンバーの親族といった方々に資金繰りを助けていただき、なんとか投資を受けずに2店舗目をオープンすることができました。
3店舗目 Len
Lenは河原町駅(四条河原町交差点)から徒歩8分の場所に位置するホステルです。
市街地へのアクセスがいい他、鴨川にもすぐ出ることができるので京都の山を眺めながらのんびりと過ごすこともできます。
ホステルには国内国外を問わず多くの旅人が出入りし、1階のカフェバーにはコーヒーやお酒、日々変わる料理を楽しみにたくさんの方が訪れます。
多種多様な人が行き交うラウンジのコンセプトは「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」。
4店舗目 CITAN
「CITAN」はこの街をもっと活発にしたいという思いを持った、三井不動産の担当の方からお声掛けいただいたのが始まりです。実は1度断っていたんですがオフィスビルだったので、カッコ良くできる自信がなかったそうです。
その時に、「じゃあ、どんな物件だったらやってくれるんですか?」と聞かれて、天井高が5mくらいあったらいいですねと答えたら、「じゃあ、一階の床を抜くのでやってください!」と言われました。
床を抜くという発想にびっくりしたのもそうですが、担当の方がそこまで熱量を持って当たって来てくれるのが嬉しくて、同い年だったというのもあって、そこまで思ってくれるならやろう!と始まったプロジェクトです。
本間さんが目指す空間づくりの中で不可欠な要素が、風通しの良さですが、CITANの物件はもともと窓が小さく、地下フロアは天井が低くてやや息苦しい印象だったといいます。そこで小さかった窓を大きくし、1階の一部の床を抜く大規模な改装工事によって、光がさし込む吹き抜けのラウンジを完成させました。
地下のバーダイニングでは、どんな人でも同じテーブルが囲めるように、食習慣に配慮したベジタリアン/ビーガンメニューを用意しています。なかでも中東諸国で親しまれている、ひよこ豆のコロッケと野菜のファラフェルサンドイッチは、ヘルシーなのに満足感もあって本間さんもおすすめの一品です。
そして何よりも、同社の『一緒にご飯を食べたいと思える人』という採用コンセプトに合ったオープンマインドなスタッフたちが作る空気感が、居心地の良い空間づくりを実現させています。
3 バックパッカーズジャパンの今後
本間貴裕さんのビジョン
役員合宿をやって、10年後を考えようという話をしました。
10年後には事業規模で4、5百億円ぐらいまでは行きたい、彼に関して言えば、今までやりたいことをやりたい奴らと、思いっきりやらせてもらったと思っているそうです。
そして、このまま調子を変えずに仕事をしていたら、この先に何があるのか大体予想が付きそれはそれでハッピーな人生なのですが、予想が付く方向に行くのは自分の中で一区切りで、今はそれ以上に「社会の役に立ちたい」思うようになったそうです。
20代の頃は、役に立ちたいと言っている人ほどうさん臭く見えてしょうがなかったし、そんなことを自分で言いたくなかったらしいですが、一通りやりたいことを全部やったら、純粋に役に立ちたいと思えるようになったそうです。
それが自分の中で嘘じゃなく発言できるようになりそんな時、社会の役に立つって何だろうと考えたときに、「社会」という言葉が表す範囲を決めなければいけない、と思ったそうです。
私たちが言う「社会」とは自分の友達なのか家族なのか、町なのか市なのか県なのか、はたまた国なのか、世界なのか。それで言うと彼の中の「社会」とは「人間」という意味に近い。
特定の地域や国でなく、人間がどう次のステップに行くのかに興味があり今で言うと戦争や環境などいろいろな課題があるけど、人間はどうそれを解決していくんだろうか、どんな未来に向かって進んでいくんだろうか、ということ考えたい。
彼が指す「社会」は地域じゃなくて、もっと広いものなんだと思いその社会をより良くしようとすると、事業規模が無いと嘘になるので、ひとまず4、5百億を目指そうという話をしています。
その10年後ぐらいに1、2千億円ぐらいまでいったらそこから10年かけて次の人に継いでいって、そこからまた大きくなっていけば、もしかしたら彼らが言う「社会」の役に立てるような会社が作れるんじゃないかといるそう。
本間貴裕さんのビジョンはとてつもないことがわかります。
バックパッカーホステルの歴史は別記事でまとめています。
>>バックパッカーホテル?ゲストハウスとどう違うの?【歴史編】
まとめ:バックパッカーズジャパン【本間貴裕さん】
さて今回は、バックパッカーを経験した人が一度は思う「バックパッカーホステルを経営してみたいな」こんな気持ちを日本でも実現させた方「本間貴裕さん」どんな人なんだろう?どうやってバックパッカーホステルを経営しているんだろう?というかたへ書きました。
彼のエネルギッシュな経営に感化される方がいれば幸いです。
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